2018-02-10

ブランドは狙い通りに創り出せるか。

やがてブランドは生き物のようにも、完全にはコントロールする事の困難な(自律さえする)有機体のような存在ともなって行きます。そうした、保育や扱いに手間の掛かる存在であったとしても、ブランドと認識されることを目指すのは突き詰めれば競争優位や事業の持続可能性を高めるためです。ここでひとつ素朴な疑問が生じます。「ブランドとなることは事業経営の目的なのか」ということです。リテール以外の事業分野にとっては、むしろブランド(ブランディング)など語らずに品質管理や組織マネジメント、福利厚生の充実や地域活動を愚直に実行する事こそが、最適なブランドデザインとなる場合もあるでしょう。(ただし現代の複雑系市場環境ではゲームのルールが大きく転回する想定や視座の高い思考実験は必要です。また、取引対象が誰であれ、最終顧客を無視できる事業はありません)ファッション業界等、コモディティ市場に浸かり、且つ印象や文脈や世界観がそのままブランドの価値と見なされやすい特定の分野であれば、「ブランドを狙い通りに創りだす」ことはある程度可能です。これが当該ビジネスの肝要故に、市場へアプローチするための相応のノウハウやテクニックは蓄積されています。こうした業界においては「ブランド化を目的」とすることと事業戦略は、ほぼ同義と言えます。

 

他方、ファッション業界のような共同幻想で成立する特殊な事業を除く、世界の大多数を占めるであろうこれ以外の分野や業界や事業において「ブランドとなることは目的なのか」。少なからず意見が分かれるところだと思いますが、私たちの答えはひとまず「NO」です。ブランド力が社会や消費者の内面に存在する好印象や好評価の情緒的総和(を分母とする忠誠や排他性)である以上、これが醸成され定着するまでに必ず、信頼関係が構築されるまでの一定期間を要します。越してきた隣人がいくら愛想良く微笑んだからと言って初対面から信頼し自宅に上げる人など稀でしょう。「社会や消費者の内面に存在する好印象や好評価の情緒的総和」がブランド(力)ならば、これはあくまでも継続的な事業活動の結果において副次的にもたらされるものですから、最も重要な事は何らかの哲学に基づき誠実で付加価値の高い事業を具現化することです。本来ならば副次的に発生する状況それを目的化しようとする事の根本的な齟齬や、その齟齬を覆い隠す手っ取り早いビジュアルやパッケージがさらに世のブランド論を分かりづらいものとしています。そうした理解の土台に立ち、ようやくブランドとなることを目的のひとつに据えようとするならば、この場合は「YES」と言えるのではないでしょうか。ブランドデザインが事業設計や運用と不可分な理由です。

 

タイトルの「ブランドは狙い通りに創り出せるか」について先のパラグラフを踏まえれば、「ブランドは価値ある事業活動の結果、副次的に発生する果実である」ことを深く洞察し、これを前提条件とした上で狙ったとき(適切な設計とディレクションはもちろん)、その確率を飛躍的に高める事は可能です。優れたブランド・コミュニケーションやブランド・マネジメントは、まず事業の機会損失を最小化し、調達力が強化され、見失いがちな事業戦略のディレクションを繰り返し内外的に波及的に直感的に再発見させてくれるからです。これにより利害関係者間での選択や理解の精度・確度が一定水準で維持されます。つまり事業自体のQCが機能します。その結果、ブランドは副次的に創出され、さらに事業環境が優位となり、さらに事業価値が高まり、よりブランドが魅力的になるという理想的な循環です。また事業活動には絶え間なく大小さまざまな変数が問い掛かり、不測の連続の中、変化(現象)に適応だけでは戦略的な怠慢と言え、その態度はナイーブに過ぎます。既視感の中に安住するのではなく、新たな世界観の提示へとリスクを取らなければなりません。真にクールなチャレンジはブランドに求心力を生み出しますから、仮に一つの試みが失敗に終わったとしても、これを吸収して余りある好感をブランドに還元してくれます。社会を味方につけ、「失わせてはならない」存在となったとき、ブランドは無数に寄せられた見えない応援をまた社会へと還元し、事業は固有の持続性を獲得します。そんな超一流のブランドが沖縄から現れたってなんら不思議ではないでしょう。

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