2017-11-17

ターゲティングに見る世の侘び寂び

家系ラーメンの意味を最近まで知らなくて、てっきり受験勉強の夜食でお母さんが作ってくれたような懐かしい感じのやつだとばかり思っていました。今年に入りラーメン屋に座ったのもただの1回(それも頂いた無料券で)。ラーメン嫌いでもないのだけれど「中年男はこってりラーメンが好きに違いない」という無言の圧力に怯えつつ(嘘)、ならば沖縄そば屋に行くわけでもなく、午前11時オンタイムにロードサイドのうどん屋に並び290円のかけうどんに無料トッピングを施して静かにすすれば、8分で立ち去るというプレイが好きなんです。余談ですがロードサイドのうどん屋で290円のかけうどん以外を頼むのは敗北(何との戦いかは不明)というノルマを実践中です。関係者の皆さま申し訳ございません。いつかせめてもの恩返しに一万円を差し出し「ここにいるお客さん全員に私から、かき揚げorエビ天を、いや、名乗るほどの者では…」と釣り銭も受け取らず背中で語ろうと考えています(大迷惑)。

近頃は若い女性がカウンターで一人ラーメンを食べている光景を目にするようになりました。もちろん年齢に関係なくラーメン好きな女性は多いことでしょう。うちのオフィスのポストにも毎日のように近所のラーメン屋のチラシが入っていますが「がっつり」などという言葉がギザギザの赤枠で強調されている感じを見るに、周辺の肥えたビジネスマンをターゲットと定めていることは伝わります。男性側のナイーブな視点は「女のひとが一人でラーメン屋に入るなんて恥ずかしいんだよ」とか「オシャレなインテリアにすれば女性客も増える」など、田嶋陽子さんの高笑いが聞こえてきそうな世界観です。これもターゲティングの弊害なんでしょうか。使い捨ての紙エプロンと化粧直しの死角でも整えた方が良いんじゃないのか、と思ったりはします。開業準備を進める店舗なら誰かしらコーディネートしてくれる個人や事務所に声を掛けるのでしょうけど、多分みんなターゲティングを起点としたテーマを中心に設計議論を展開しますよね。

マーケティング≒ターゲティングというのが定石とされていますけど、洞察に欠けるステレオタイプな市場分析によるターゲティングは既に定量化や合理的に説明がしやすい範囲をすなわち市場と括っているようです。現時点で定量化・合理的な説明が可能という現象(顕在、因子は過去)は意思決定において一見説得力を持つようにも思われますが、定量化や合理的な説明がつかない領域(潜在に有り現象化していない)は存在しないものとみなすのでしょうか。巷のターゲティングはコインの表面のようなもので、これはこれで表面の傾向は見て取れる、現在の一面における確率程度に解釈することが手法の運用としては賢明かと思います。ターゲティングを盲信するあまりターゲティングでは説明のつかないコインの裏側をごっそり逸してしまう想定も併せ持つべきだと思うのです。顧客を正確に特定しようとする試みが、かえって大きな潜在顧客層を取り逃してしまうならばお粗末な話です。曖昧な社会の揺らぎの中から本質や未来を見出す洞察はどうすれば手に出来るのでしょうか。

ペルソナの話も同じです。ターゲティングの表面は基本的にコモディティ商品に適している判断基準ですから「20代後半働く女性、地方出身、独身・独居、年収250〜300万、健康意識も高いが心地よさ優先、情報源はSNSとテレビ、ぼんやりとした不安感、休日は非アクティブで自宅で過ごすetc.(なんか無礼だよね...)」こうしたペルソナを設定した場合、ターゲットとした人物像の行動様式や感情の動線を導き、数ある類似商品の中から、いかに記憶に留まり手に取ってもらう確率を高めるかを商品開発やプライシング、コミュニケーションの設計に還元するという流れでしょうか。消去法的消費(コインの表面)を獲得するならそうした手法が一定の機能を果たすでしょう。一方ブランドは能動的消費の対象ですし、消費行動という自己表現(あるいは自己承認)でもあり、かつ消費者自身も自らが選択する特定のブランドに、なぜこれほど強く魅かれるのかを正確には理解していないことも多いのです。ハイコンセプトなブランドにとって、ターゲティングはそもそも重要ではありません。ただ純粋に、未来にある自らの世界観を創り続けているだけです。

私のブラウザには薄毛予防加齢臭対策精力増強などのリターゲティング広告バナーが出現する訳ですが、その度に「お前からは死んでも買わない」という気持ちに胸が熱くなり、人の世の侘び寂びを噛み締めています。

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