2017-09-21

フォトグラフォーにリスペクトと要らぬ同情をつらつら

有史以来、現代ほどにビジュアルと言葉が氾濫している時代はないでしょう。これほど供給が過剰で果てしなく複製されるなら過激に減価して行くのは自然なことです。ビジュアルや言葉や感情や感性はカジュアルをも通り越して積み上り続ける無数の塵の山になりました。塵の山の住人は知性を選ばないことで最後の瞬間の直前まで安住するのかもしれません。おそらく本物だけが放つ輝きの数は過去から一定ですが無軌道に膨張する分母からの割合を考えると極めて貴重で急速に価値を高めることになるか、本物を評価する感性が失われて本物が見い出されないままに朽ちていくことにもなりかねません。果ては本物を評価する能力を有する人たちだけで隔絶されたレイヤーが存在し、ノアの箱舟の内と外で世界が分けられていくか。こんなことを考えてると、ほとほと「にんげん大丈夫かな」という気分にはなります。

誰かのライトな評価を受け取ってライトな価値観が形成された人々はライトなものを求めますから、発注者もライトなら受注者もライトです。メーカーもベンダーもライトなら消費者もライト。こういう時代に生きている我々はモノを創るという行為を真剣に見詰め直さなければならないと思います。時にはライトに抗うことも片隅に置かなければ。冒頭の「ビジュアルと言葉」になると今や全世界の老若男女が思い思いの発信源ですが、無料でオープンな合意形成がなされた世界なら4次情報だろうがおぞましいフラッシュモブだろうがだいたい何でも許されると感じているのでしょうか。ビジュアルや言葉を生業にするフォトグラファーや文章ライターさん大変だな、とも思いますが名刺に書けば即日名乗れる仕事(食えるかは知りません)でもありますからプロアマの境界が混じり合っている中で、やはりライトな塵の山を高くすることに余念がない働き手も、たーくさんいらっしゃいます。

言葉の場合は幾分か障壁があると言いますか、道具の善し悪しとは即ち行動力も含めた“地頭”だったりしますし、コピペにもリスクがありますし、クラウド×ークスというマッドマックス的プラットフォームを利用するという手もあるにはありますが、真っ当な書き手なら矜持もありましょう。作文はまぐれ当たりが生じにくく写真と比較すると優劣・実力の判別がつきやすいのです。一方フォトグラファーは(私良い写真観るの大好きですが)素人でもα7Ⅱ前後のカメラを入手してハウツー本でも一通り読めばちょっと筋の良い人ならそれなりに“誤摩化”せてしまえます。ライトなものを是とする(あるいはライトしか捉まえきれない)マジョリティーの市場なら、あっという間にコモディティです。個人的には、弛まぬ努力や投資を続けるカメラマンやプロ意識の塊のようなカメラマン才能溢れるフォグラファーや写真作家を知っていますしリスペクトしています。写真を生業にする人の多くには、たった10年前からの環境変化を前にまさに受難と成長(あるいはリ・コンセプト)のときだな、と観察しますが、こちらこちらで“本物”を評価する態度を求め続け、面倒臭いディレクションをし続けたいと考えてます。それと清潔感は大切だと思います。

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