2017-08-22

マーケティングは割り切りで

「マーケティングの理想はマーケティングを不要とすることだ」というようなことを経営思想の神と呼ばれるピーター・ドラッカーも述べております。噛み砕いて言えば「販売成績のためにアレコレ策を繰り出さずとも、自然に商品が売れていく状況を作り、これを維持し続けること」、マーケティングを無くすことがマーケティングの目的であるという逆説です。とは言え、高度経済成長の姿は残像、とてつもなくイノベーティブなプロダクトやサービスでない限り、あるいは社会の中でブランド価値が確立され揺らがない限り、早々コモディティに巻き込まれるか、悲惨なケースでは最初から全く見向きもされないという事態も起こり得ます。無音で熱の出ないヘアドライヤーだったり、磨耗しないタイヤだったり、風で飛ばない紙皿だったり、視力の変化に合わせて自動で度数が対応するメガネだったり、並行飛行で墜落のリスクがゼロになる旅客機だったり、飲み込めば腸内環境の働きを改善する歯磨き粉だったり、ガンの特効薬だったり、無料の歯列矯正システムだったり、もう挙げればキリがないのですが、こうしたイノベーティブなプロダクトやサービスなら、広告も営業マンも要らないか、ピンポイントで済むでしょうね。

一義的にはイノベーションしかありませし、さらにイノベーションのジレンマはいちいち破壊しなければなりません。既存の流通システムや構造はコモディティが前提で、そうなると物量の力に抗う事など不可能です。従って大企業の戦略を中小零細がお手本にするとき、そこには根本的な欠陥が生じます。むしろ中小零細は大企業に「それやられちゃ嫌だな」と思われる戦略が必要です。ほとんどの大企業は自らがこれまで築き上げてきた4P体制を死守することで成立していますのでドラスティックな変化は宿命的に困難なのです。とは言え(二回目)、革新的なプロダクトやサービスを生み出し事業化する事は容易ではないどころか、狂気の世界の住人と優れたマネジメントチームが結集した中でも極々僅かな打率でしょう。また、相応の事業スケールをリアルに捕捉できる世界観の人物は少ないものです。最初から分相応というのも小さくまとまった話になってしまいますが、革新的とは行かずとも気の利いたアイデアで隙間を支配するポジショニングは現実的かつ有効なので、コモディティに半分浸かりながらもユニークなアプローチを組み合わせればそこそこの商いは可能でしょう。

“そこそこの商い”であっても立ち続けられるならば、やはり社会から必要とされているという事実があるのでしょうし、大きくなくとも立派な事業です。もちろんマーケティングを不要にできるならば理想的ですが、半分コモディティであることの利点は大衆への分かりやすさや安心感にもある以上、選ばれるための販売活動やコミュニケーションは一定量、あるいは断続的に取り組んで行かなければなりません。そこは割り切りで、どうせやるなら費用対効果にこだわって手応えを掴もうではありませんか。マーケティングを考えるときに、なぜかわざわざ悪手を選択してしまうケースは案外多いものですが、まずは一応のコミュニケーションのトーン&マナー(性格と躾)を規定し、やってはいけないこと、顧客や消費者に感じ取らせてはいけない印象を整理することが大切です。スタートアップで少々過激なアプローチが許容される時期が過ぎたなら、すこしづつ成熟した姿を見せていくのも良いでしょう。販売活動やコミュニケーションの施策を立てるならば顧客のインサイト、タイミングや時間軸、トーンのポートフォリオ、インナーへの好影響を組み込んで行けば自ずと構造的な取り組みになります。かっこよさよりもまずは実利を取るべきです。後から十分にかっこよくして行ける時が来ますから心配は要りません。

追記:

マーケティングの4Pにおいては、現代ほどプロダクトに重きを置かなければならない時代はなかったのだと思います。マーケティングによって価値の無いものを有るように見せる事、消費者の記憶に留まらせることは短期的には可能でしょうが、もういい加減に卒業するときです。その他3CだとかSWOTだとかのフレームワークも活用次第ですが、これらは同じレイヤーにパッケージされているアプリケーションです。消費者の声を聞くという手法もコモディティに最適化されたものです。インサイトは人間や社会の深層心理ですから、愛情がないと見出す事はできません。誰かの事業活動によって結果的に社会が少しづつでも良くなるなら素敵ですよね。

 

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