ブランドデザイン : 株式会社折紙 / ORIGAMI INC. | 沖縄 – 東京

2017-06-23

デザインやアートと経営との距離

世の中には好奇心や向上心に薄い人がいる、という一面を発見したのは数年前。人間誰しも心の奥底では知的な充足を求め成長を欲しているものと当然視していたのですがある日「否、どうやら決してそんなことはなさそうだぞ」と気づいたとき、それまでの憑き物のようなモヤモヤが落ちて、しみじみと清々しい気分に浸ったものです。以来ひと様に対する「なんて怠惰な人間なんだ」という苛立ちはどこかへ消え散っていきました。
好奇心や向上心に薄いからと言ってそれ自体自覚や悪気もないわけで、私から苛立ちをぶつけられる被害に会った当人も訳の分からない小言や冷ややかな眼差しを向けられるストレスから解放されたのです。つまるところ自分と同じ程度の物の見方や感じ方は誰にだって備わっているだろうという思い込みで、実は人間の可能性を信じたいからという柄にもなく純朴ではた迷惑な態度だったりもします。

ところでデザインやアート(何をもってしてデザインやアートたるのかというテーマは後にすっ飛ばし)についても、好奇心や向上心と同等かそれ以上に捉まえにくいもので、見えている側の洞察はまちまちなうえ言葉は足りず、見えない側の感性はどこまでも不向きで、単に乖離して分かり合えないというよりも深刻に、不可解な人種に対する相互嫌悪や軽蔑で、反発磁気のように歩み寄ろうとするほど返って押しのける感じです。
それでもってデザイナーやアーティストは経営を権謀術数マッチョなものとみなし、経営者はデザインやアートみたいなフワフワナヨナヨした得体の知れない澄ました風よりも、強いリーダーシップや営業力や交渉能力で立ち続けてきた自負に固執するパターンが特に地方においてはデフォルトかもしれません。都市部と地方では生活においての抽象設定やコンテクストが異なりますから当然です。

他方、全国的・世界的に成功している新興企業を見渡せば、デザイン・アート・経営(+エンジニアリング&テクノロジー)が融合しているのは明らかです。むしろこれらを融合させることこそが分野は違えど確率や推進を飛躍的に高める決定的な事業戦略のように見ることもできます。こうした環境下では美しい理想を掲げるまでもなく世界中から優秀な人材が求心する上、ナレッジは乗算されますから、マネジメントさえ機能していれば、よりよい方向に繰り返し波及的に高度化・洗練されていきます。さて、この違いは何なのか。
極東の細長い島国の一地方には無理、と思われるならこの議論は終了ですが、すでにそんな時代でないのはご承知ですよね。優れたデザイナーや独創的なアーティストが卓越した経営感覚も有している、あるいは論理的な経営者であるにも関わらずデザインやアートに深い造詣を持つ、そんな多元志向才能型の人材を心待ちにするだけでは能がありません。もちろん出て来たなら歓迎ですが、選ばれし者しか許されない領域のように諦めるのも違います。

この、デザイン・アートと経営との距離を取り払いシナジーさせることは単に専門家を紹介したりされたりすることや、ヘッドハンティング、リクルーティングといったお見合い的不確実なマッチングに委ねることでは時間が掛かりすぎるように思います。デザイン・アートを理解しないデザイナーやアーティストの存在そのものが事態をややこしくしている原因だったりもしますし。先ほどすっ飛ばしましたが経営に対応したデザイン・アートには一応の定義も必要でしょう。本稿では以下のように留めておきます。また気が変わるかもしれませんが。

Y.デザイン:調査・洞察し、問題の本質・根本を特定、これを解決するアプローチ。問題に対応した「答え」を出すこと。

X.アート:「私」の世界・ビジョン・大義を具現化しようと試み、終わりない追求を続けること。未来からの「問いかけ」。

残念ながらと言いますか、デザイン・アートが経営に不可欠だと深く理解する企業は止めどなく社会を魅きつけ機会を創出し、デザイン・アートを軽視、無視する企業は旧態の構造から動けない残像のままでしょう。この差は荘厳なほどに位置付ける世界のレイヤーを区別していきます。距離から分岐した平行世界のように。残された課題は、射程内の距離感で「まだどうにかできる」デザイナーやアーティストと経営とを相互不可分に組み込ませることのできる、制度設計も含めた専門特化的なビジネスキュレーションかもしれませんし、哲学や物理学に建った全く新しいアプローチの人材育成やインキュベート、ファイナンスかもしれません。商店街の八百屋の店主が才覚ある理解者で、名の知れた企業の経営者が到底怪しいことからも、スケールや場所に囚われるものではありません。デザイン・アートと経営の距離を接続するのは、意外にも胡散臭がられていたスピリチュアルの役割のようにも思います(自称先生以外)。

 

 

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