2017-02-23

「そこまでやったならもういいや」。

「そこまでやったならもういいや」「もうこの辺で手仕舞いね」。デザインの現場ではクライアントからそんな妥協を掴み取るための夜討ち朝駆け的な根性・寝技の掛け合わせ戦術が機能してしまう場面があります。これは結構に不幸なことです。デザイン実務では選考者がお金を払う前提でその対価を創造します。「買うから買いたくなるものを察して持ってきてくれ」平たくはそうも言えます。このとき売り手(デザイン会社や広告会社)の内部事情など知る由もないというか知ったこっちゃない、という買い手の一般的な心理が働くのはまぁ仕方がありません。発注者という優位な立場に着いたからにはある程度シゴいて(溜飲をさげて)やる、そのシゴキに一定期間耐えた暁にはOKを出してやろう「分かるよな」「心得ております」というある種の通過儀礼。ディレクションとはお上への忠誠を示すことかのような日本的掛け合いが暗黙の中に存在しています。

昭和の製造業のガハハ社長にデザインのプロセスや実体のない投資や資産価値を説明するのは本当に大変なことです。原価の掛からない商売だと言われればまぁ一理あるでしょうし(苦情受け付けます)。また、それなりの規模の組織ですと社内のステークホルダーの調整や根回しの方が重要だったりするのも、「聞いてないよ」&「鶴の一声」の芽を摘んで置かなければならないからです。極めて日本的な組織調整事務の高度に洗練されたテクニックの話は長くなるのでここでは止めておきますが、あくまでデザイン会社や広告会社側で努力できる要素に絞りますとほぼ集約される課題は、コンサルティングです。職名がコンサルタントである必要はもちろん無く、つまりはクライアントの問題を特定し解決策を提示し、その進行をディレクションする、ということになります。

ロゴデザインの要望に応え、タタミ一畳もありそうな紙にロゴ案を100も並べてプレゼンするケースなどを見ていると、クライアントの会議室ではその見栄えに「おぉ!」などの歓声が上がり、無邪気に好き嫌いの話で盛り上がったりしています。ロゴ選定の戦略性評価がいつの間にか「ミスコンで好みのガールを選ぼうぜ」みたいな様相を帯びているわけです。これも外せないセレモニーと割り切るなら、それはそれでアリかもしれません。しかしこうしたアプローチは買い手と売り手のリソースをいたずらに浪費している可能性があります。リソースの浪費は負荷となり、結局どこかで誰かが吸収しなければならず社内の人的リソースを相互に傷つけます。弱っている箇所ほど症状は現れやすいものです。もし、的を得たコンサルティングが機能しているならば、買いたくなるものを適切に規定しないまま、あるいはソリューションを実行しないままに、曖昧な数を繰り出す事態にはならないでしょう。

なぜコンサルティングを行うことが難しいかと言えば、ひとつにはクライアントとの間にコンサルティングの重要性を共通理解とするような関係性が築けていないからです。デザイン会社や広告会社はマーケティングの枠内の話しかしてこなかったのです。コンサルティングであれば本質的で率直な見解を伝えることは避けられませんから、その見解が真実であればあるほどクライアントにとっては耳障りのする話になりますし下手をすればクライアントの心証を害し仕事を失ってしまうリスクがあります。買い手からしてみれば「いまさら君(や君の会社)にその意見は求めていない」ということでしょうし、売り手も売上や継続取引を失うリスクには躊躇があるはすです。

また、経営トップと直接セッションする機会がなければ重大な経営戦略の対話は叶いませんが一般的なデザイン会社や広告会社はマーケティングの担当者とマーケティングについての課題だけを共有していますから「出来上がったプロダクトやサービスを与えられた予算でいかにバズらせるか」みたいなテーマ設定ではクライアントの本質的な課題にアプローチすることなど不可能です。衝突を恐れて過剰にリスクを避けるうちに能力は退化していきます。コンサルティングのリスクを避け、ビジネスの洞察不足を補い、結果として納品やプロジェクトを完了させ売上を立てるための戦術として、クライアントが「うんOK」と言うまで数を繰り出し、暗黙のノルマをこなし、疲れさせ、同情させ、潮時の空気を醸成していくのです。

最初からこの展開を織り込んでいる寝技師も存在しますから、世知辛い世の中と言うほかありません。日本の企業は生産性が低いと指摘されますが、おそらくはこうした悲喜劇が日本中で進行中だからではないかと考えています。嘘のコストとして社会の大切なリソースがポーズとアリバイのために垂れ流されています。さらには、誰も責任を負うわけにはいかない組織のサガがあり、これを回避するために社内手続きが複雑制度化されている事情もあります。水を少しづつ混ぜると個々の色が何色かは分からなくなり結局混ざり合った水が黒に近いか白に近いかで意思決定されていたりするわけですが、こうした手続きのために一定の浸けおきグレー期間が必要となります。そんな風に買い手と売り手の思惑が一致すると見事なコンボが出来上がり、「もうそこまでやったならいいよ」「もうこの辺で手仕舞いね」と運んで一件落着、空疎なデザインプロジェクトが完了に至るのです。しかしながらこうしたメンタリティで生み出されたものが果たしてデザインと呼べるものなのでしょうか。こうしたデザインでコミュニケーションを求められパーソナルスペースに勝手に上がり込まれる消費者やエンドユーザーからはサイレントな反感や白けしか返ってこないのでは。日本社会も特有の企業組織文化が吐き出すコストを吸収できなくなっています。しかし時代は変わりました。新しいプレーヤーがゲームのルールを書き換えるときも近いはずです。

others